1.退職給付水準の引き上げを検討すべき理由
最近の物価上昇を受けて、ベースアップ等により賃金水準を見直す会社が増加しています。これは、人手不足が深刻化するなかで優秀な人材を確保するために必要な施策であると思います。
一方で、退職給付制度については、給付額が賃金と必ずしも連動しないため、名目額が従前と変わっていない会社が多いと思われます。物価が上昇しているなかで退職給付の名目額が変わらなければ、購買力という点で見ると実質的な価値は低下していることになります。
退職給付は、退職してから初めてその恩恵を受けるものですので、このことに気付いている従業員はまだ少ないと思われます。一方で、政府の「新しい資本主義のグランドデザインおよび実行計画2025」等では、企業年金の水準についてインフレ抵抗力が確保されることが期待されており、今後は労働組合がこうした見解を踏まえて退職給付水準の引き上げを求める可能性もありそうです。
一方で、退職給付水準を引き上げることは人件費の増加となり、固定費の増加につながるため、慎重に考える企業も少なくないと思われます。特に過去において、退職給付会計を通じて費用の増加に苦しんだ企業も多いため、その水準引き上げについてネガティブなイメージを持っている会社もありそうです。
しかしながら、昨今の環境変化に伴って、退職給付制度の見直しに「追い風」となる要素がいくつも生じている可能性があります。すなわち、今が退職給付制度見直しの「好機」と考えられるのです。
以下では、その理由を具体的に確認していきます。
2.退職給付制度の見直しに「追い風」となる理由
(1)年金財政・会計上の「余裕」の発生
ここ数年で退職給付会計に関する環境は大きく改善しており、会計的に「余力」が生じているケースも少なくないと思われます。例えば、ここ数年の退職給付会計においては、金利水準の上昇によって退職給付債務が減少する一方、株高等による年金資産の運用の好調から、積立超過となっている会社が増えています。
また、確定給付企業年金の財政検証においても、資産運用の好調等により積立超過となっている制度が増えているようです。
加えて、「金利のある世界」に入り、年金資産の資産運用収益率が改善していることから、年金財政上の予定利率の引き上げも検討可能な時期に入っています。年金財政上の予定利率を引き上げると、一般的に掛金額は低下しますので、キャッシュアウト面でも余力が生じうる状況といえます。
上記の状況は企業によって相違すると思われますが、自社においてこのような「財政的余力」が生じているかを確認されてはいかがでしょうか。
(2)確定拠出年金(DC)の拠出限度額の引き上げ
2026年12月に、DC制度の拠出限度額の引き上げが行われます1。従来は拠出限度額の制約から給付改善が困難であった企業でも、制度改正後はDCを活用した比較的効率的な給付改善が可能となる場合があります。
(3)その他の理由
以下の点は「追い風」というよりは企業に対応を迫るものですが、これらも退職給付制度の見直しを後押しする理由と考えられます。
① 企業年金の「見える化」の実施
厚生労働省は、2027年度中に企業年金の「見える化」を行うシステムを稼働する予定です(KPMGの解説記事『企業年金運用の「見える化」の検討状況とスケジュール』もご参照ください)。これは今年7月21日に閣議決定された「日本成長戦略」にも盛り込まれています。
「見える化」では、資産運用や積立水準だけでなく、給付設計、あるいは給付水準が推定できる情報も開示され、企業間比較が可能になる予定です。例えば、同業他社と比べて賃金が同程度であった場合に退職給付の内容が劣後していると、採用面で苦労したり、優秀人材が離職したりするリスクが生じることも考えられます。
② 株主対応
前述の通り、最近は企業年金の積立水準が大きく改善しており、積立余剰を持っている企業年金も多くなっていますが、この積立余剰金は貸借対照表上、「退職給付に係る資産」として資産の部に計上されています(IFRS®会計基準の場合は一定の制約あり)。しかしながら、企業年金の年金資産は企業年金法令により従業員に帰属するものとされており、ごく限られた例外を除き企業への返還はできないこととされています。したがって、株主の立場から見ると、この資産は「企業が資産に計上しているのに実際には使えないおカネ」となります。すなわち、資産を有効活用していないことになります。
今年4月に公表されたコーポレートガバナンス・コードの改定案において、資産の有効活用を求める記載が追加されていることもあり、この積立余剰を使って給付改善を行い、優秀人材の確保に資するという対応が、1つの解決策になるかもしれません。
3.まとめ
以上のとおり、退職給付制度の水準を見直すべき理由について解説しました。過去に積立不足問題で苦労した歴史もあって、経営層は退職給付水準の引き上げについては一般に消極的と思われますが、実はポジティブな要素も多数あることがお分かりいただけたかと思います。人事・年金担当者は、こうした「追い風」要素があることと、給付水準見直しの意義を経営層に伝え、検討を促していただければと思います。
最後に、上記で述べた「追い風」要素を下表にまとめましたので、今後の検討にご活用ください。
表1 退職給付水準を見直すべき理由
| 「追い風」要素 | 概要 |
|---|---|
| 年金財政・会計上の「余裕」の発生 | 金利上昇、好調な資産運用を背景に、年金財政上も会計上も積立超過が生じており、これを給付改善の財源とすることが可能 |
|
確定拠出年金(DC)の拠出限度額の引き上げ
| 拠出限度額の制約から給付改善が困難であった企業でも、制度改正後はDCを活用した比較的効率的な給付改善が可能となる場合がある |
| 企業年金の「見える化」の実施 | 企業間比較が可能になるため、同業他社等に見劣りしない給付が必要 |
| 株主対応 | 積立超過を活用することで資産の有効活用を促進し、企業の成長につなげる |
出所:KPMG作成
なお、退職給付水準の見直す際の具体的な選択肢や、検討に際しての留意点については、2025年のKPMG解説記事『物価上昇に伴う退職給付水準改善の動きと留意点』をご参照ください。
1 厚生労働省「確定拠出年金の拠出限度額」(2026年8月10日確認)