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      大学教育改革の理想と現実Ⅱ『現代社会の教育リスク』


      本章では、教育において「何が価値あるもの」かがどのように学生に伝わり、それが学生にどのような影響を与えるのかを、2つのエピソードから考えます。

      何を見て優秀と捉えるか

      「農業経営に付加価値をつける」というテーマで、学生が農業経営者に対して企画提案する授業を行ったことがあります。

      対象は、生物や農作物など食材の生産について学ぶ分野に所属する学生で、4、5人ずつのグループに分かれて取り組みました。この分野では、生物生産や農学を専門とする研究者が多く、専門知識を学ぶことが教育の中心です。そこで、研究者が持つ専門知識と、実務家(この授業では筆者)が持つ企画や事業化の視点を組み合わせることで、学生が知識を応用する機会をつくることを試みました。

      最初に驚いたのは、対象となる農作物について調査を始めたときでした。かなり多くの学生が、まず論文などの文献を探し始めたのです。

      私は企画を仕事としてきた経験から、身近な食材であれば、どこでどのように栽培されているのか、どんな商品があるのか、どうやって売られているのか、どんな料理に使われているのか、といった身近な観察から入るものだと思い込んでいました。以前所属していた大学でも、それまでかかわった学生たちも、そのように動くのがごく普通だったからです。しかし、この学生たちにとって「調査」といえば、まず文献を調べることが自然だったようです。企画のアイデアも文献のなかから探そうとする学生が少なからずいました。

      授業を進めるうちに、学生によって企画を考える過程に違いが見えてきました。

      ある学生たちは、あれこれとアイデアを出し、それが提案につながるかを考え、うまくいかなければ白紙に戻して別の方向を考えます。一方、文献調査から得た情報から1つの方法を思いつき、そのアイデアを早い段階で固定してしまい、可能性や広がりを十分に検討しない学生もいました。授業のなかで企画の考え方を示しても、一度決めたことを切り替える発想をもてず、グループでの話し合いも広がらないまま、最後まで提案として組み立てきれないケースもありました。

      ところが、授業後に興味深い発見がありました。

      私が対話しながら考えを動かすことができると感じた学生のなかには、日頃の学業では必ずしも高く評価されていない学生がいました。一方、企画の場では考えを広げることが苦手なように見えた学生のなかには、学業成績では高く評価されている学生もいました。

      一緒に授業を担当した先生たちにとっても意外だったようです。日頃の学業成績を通して形成されていた学生像と、その情報を持たずに授業で接した私から見た学生の姿には、かなりの違いがありました。

      何が価値あるものとして伝わるか

      近年、大学では、研究成果の実用化や大学発スタートアップの活性化などを背景に、アントレプレナーシップ教育に力を入れる動きが広がっています。

      アントレプレナーシップとは本来、単に起業するための能力ではなく、自ら課題を見いだし、行動を起こしていく姿勢や力を指します。この連載の冒頭で掲げた「自律して考え、不透明な社会のなかで自ら未来を切り拓くことのできる人」という、産学官に共通する理想の人物像とも重なるものです。

      そのアントレプレナーシップ教育に力を入れているある大学で、「起業することが最も優れている」と受け止めている学生が、先生達が想像していた以上に多いことがわかりました。

      先生たちは「起業しよう」と言っているわけではありません。「起業する学生が優秀だ」と評価しているわけでもありません。むしろ、「どんな道でも自由だ」「失敗してもいい」「自分ごととして取り組んでほしい」と学生たちに伝えており、実際にそう考えています。

      この学部では、アントレプレナーシップを育てるには実践が重要だと考え、プロジェクト型の教育を重視しています。教員が課題を設定するPBL型のものもあれば、学生自身がテーマを決めて実行するものもあり、さまざまなプロジェクトが用意されています。

      また、学部として学生や卒業生の起業を積極的に支援し、学外とのネットワークや起業支援の仕組みも整えています。広報では、卒業生の起業者数や起業事例が学部の成果として紹介されることもあります。教員には実務家も多く、起業や事業開発に関わってきた経験を持つ人も少なくありません。

      この現状が、学生からみると次のような景色として捉えられます。


      学部は「プロジェクト重視」を強く打ち出している。
      プロジェクトで成果を出した学生が、その後起業している。
      起業した卒業生は、学部の成功例としてよく話題に上る。
      起業を支援する制度も充実している。
      教育の中心にいる先生たち自身も、起業や事業の経験を持っている。


      ある学生は、「先生は失敗することが大事だ、自分はいつも失敗していると言うけれど、起業家として成功しているじゃないか」と話しました。また別の学生は、「プロジェクトで成功した人が起業することが多いのだから、学部がプロジェクト重視ということは、結局、起業することが重視されている」と受け止めていました。

      見えない評価軸

      2つの事例から見えてくるのは、単に評価の方法だけではない問題です。

      1つ目の事例では、日頃の学業成績から見ていた学生像と、企画の場で見えた学生の姿に違いがありました。ある評価軸のなかでは見えないものが、状況が変われば表れることがあります。

      2つ目の事例では、そもそも「起業」を評価の目安として設定していませんでした。それでも、大学側が何を成果として示すのか、誰を成功例として取り上げるのか、何を支援するのかといった実態が、学生の「ここでは起業に価値がある」という受け止め方につながっていました。

      2つの事例が示しているのは、学生に「何が価値あるものか」を伝えるのは、明確な評価基準や点数だけではない、ということです。何を成果として見せるのか。誰をモデルとして示すのか。どのような活動に支援を集めるのか。教育する側が何を専門とし、どのような経験を積んできたかも含め、環境全体が「何が価値あるものか」を伝えています。

      学生は、その環境から価値の序列を読み取ります。自分が何をしたいのかより、「この場で価値があるとされる方向」を優先することもあるでしょう。まだ形になっていない関心や、すぐには成果にならない活動には、自信を持てなくなるかもしれません。

      このような価値の方向付けは、学生に限ったものではありません。教育する側もまた、何を重要だとみなすかは、環境の影響を受けています。

      たとえば、Web of Scienceという学術文献データベースがあります。世界中の選定された学術ジャーナルから集めた膨大な研究成果を効率的に探索するために使われており、近年では生成AIを活用した検索・探索機能が進化しています。研究者が論文を書く際には、これまで何が論じられ、何が明らかになり、何がまだ問われていないのかを既存研究から把握する必要があります。Web of Scienceは、この作業をおおいに効率化します。

      一方これは、研究者が何を読むべきかを自分で判断する前に、「よく引用されている」「関連性が高い」とシステムによって抽出された情報が提示される状態です。検索の入口の時点で、すでに既存の学術評価体系による選別が働いているのです。もちろん、それによって研究者の判断が決まるわけではありません。しかし、何をみるのか、何を重要な情報として認識するのかは、本人が意識しないところでも環境によって方向付けられています。

      教育の場であれば、何を成果として示すべきか、誰がモデルとして相応しいか、どのような活動に支援を集められそうか。教員は自ら価値を判断しているようでいて、周囲の環境から「何が価値あるものか」を絶えず汲み取っています。

      この価値認識が最も端的に表れるのが、何を選択して「成果」として外に示すかという場面です。「成果の可視化」は、現代社会においていかにも妥当な響きを持っています。しかし、可視化は中立ではありません。何を成果として見えるようにするかは、評価する側が何に価値を置いているかを示すことでもあります。そして、評価者の価値認識は、学ぶ側の価値形成に影響します。

      自律して考え、自ら未来を切り拓く人を育てたいと考えるなら、何を成果とするかだけでなく、なぜそれを成果とみなしているのか、その価値観を生み出した背景や、学ぶ側に及ぼす影響にも目を向ける必要があるのではないでしょうか。
      (続く)

      執筆者

      KPMGコンサルティング
      スペシャリスト(リードスペシャリスト) 田中 智麻


      <本連載に関する講演のご案内>

      連続講演会「グローバルリスクと社会―不確実な世界を生き抜く」後半
      第1回:「現代社会の教育リスク」(外部サイト)
      講師:田中 智麻(KPMGコンサルティング)

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