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      大学教育改革の理想と現実Ⅱ『現代社会の教育リスク』


      1〜3章では、学生から大人まで、周囲の評価や制度、組織の価値基準によって判断が方向づけられていく様子を見てきました。それでは、現代社会が共通して掲げる「自律して考え、不透明な社会の中で自ら未来を切り拓くことのできる人」――このような人はどうしたら育つのでしょうか。

      自律して考えるとはどういうことか

      よく考えることと、自律して考えることは異なります。

      学生も、研究者も、コンサルタントも、自分たちの置かれた環境のなかでは非常によく考え、自分から動いています。しかし、何を問題と認識するか、何を知る必要があると思うか、何を成功と考えるか、何を価値ある行動とみなすか――といった思考の前提となる価値観自体が、所属する世界によって形成されています。

      多くの人は、自分が組織や社会の価値観に影響されていることに、まったく気づいていないわけではないでしょう。それでも、そこから自由になることは容易ではありません。ある組織や集団のなかで経験を重ね、評価され、影響力を持つようになる過程は、その集団の価値体系を内面化していく過程でもあるからです。

      それを踏まえれば、自律して考えるとは、真剣に考えているか、主体的に取り組んでいるか、といった側面だけでは捉えることはできません。とはいえ、環境の影響を完全に取り除くことには無理があります。重要なのは、自分が立っている世界の前提を問い直すことができるかどうかです。

      本稿では自律した思考力を、「自分が立っている世界の前提を相対化し、自ら問いを立て、判断できる力」と捉えて考察を進めます。

      人はどう成長するのか

      では、そのような力はどのように育つのでしょうか。それを考えるためには、人がどのように成長するのかを捉える必要があります。

      従来の大学教育では、知識の獲得を成長と捉える見方が有力でした。近年では、論理的思考力やコミュニケーション能力など、知識を活用するための汎用的能力の向上も重視されています。その一方で、大学教育は、自己を形成し、他者や社会との関係を築きながら、自律した市民性を育成する役割も負っています。

      このように、「成長」は単一の見方では説明できません。何を成長と捉えるかは、そもそもどのような人を育てたいのかによって変わります。

      人の成長については、認知発達、経験学習、人間発達、教育哲学など、さまざまな観点から多くの研究が蓄積されています。一方、人の成長を複数の側面から捉え、それを教育設計に結びつける試みは限定的です。世界をどう認識するか、自己の判断基準をどう形成するか、社会との関係をどう築くか、といったことを包括して成長を理解する共通の見解は確立されていません。

      そこで、人の成長を考えるうえで、どのような側面を捉えるべきか整理してみました。

      「A.世界認識」世界や他者をどのように捉えるか
      「B.自己形成」自己の関心・価値・判断をどのように形成するか
      「C.知的基盤」経験や対象を知としてどのように組織するか
      「D.意味形成(D-1.感受的認識、D-2.構造的認識)」経験・知識・社会をどのように解釈し、問いや構想につなげるか
      「E.実践(E-1.公共的意味形成、E-2.推進力」自分なりに考えたことを基に、他者や社会にどう働きかけるか

      それぞれの側面には、状態が変化していく段階があります。本稿では、この5つの側面と6つの段階によって人の状態変化を捉える枠組みを「成長プロセス」と呼びます。

      【成長プロセスの側面と段階】
      Japanese alt text: 社会はどんな人間を育てているか―人はどのように成長するか 出所:KPMG作成

      成長プロセスの図に示す「D.意味形成」は、感性や感覚を通して意味を捉える「D-1.感受的認識」と、論理的・構造的に物事を捉える「D-2.構造的認識」の双方によって成り立っています。たとえば地方創生に取り組むとき、人口・産業・経済構造といった構造的な捉え方だけでなく、そこに暮らす地域住民の生活感覚や価値観を捉えることも必要です。

      また、「E.実践」は、個人が実践を推進する「E-2.推進力」だけでなく、その実践が社会にどのような意味や影響を持つかを捉える「E-1.公共的意味形成」を含みます。たとえばAIの開発であれば、技術を進歩させるだけでなく、それが社会に及ぼす影響を考える視点も求められます。

      ここで注意したいのは、この成長プロセスは学生の能力を測る指標ではなく、教育者側が学生の状態を理解するための共通言語であることです。どのような成長が「よい成長」か示す目安でもありません。段階の高さが優秀さを意味するわけではなく、A~Eの側面すべてが同じ段階を進むわけでもありません。

      では、このように人の成長を複数の側面から捉えることが、なぜ「自律して考える」ことにつながるのでしょうか。

      これまで見てきたように、論理的に考える力や行動力が高いことと、自律して判断できることは同じではありません。自分が見ている世界が唯一のものではないと気づき(世界認識)、自分は何を大切にするのかを知り(自己形成)、必要な知を求めて統合し(知的基盤)、経験や知識から自ら意味を考え(意味形成)、その判断に基づいて社会に働きかける(実践)。

      これらの側面が相互に働くことによって、与えられた判断基準に従うだけでなく、自ら問い、判断し、行動することが可能になります。

      つまり、「自律して考え、未来を切りひらく人」は、特定の能力を1つずつ身につけることで育つものではありません。その人自身が、経験を通してこれらの側面を変化させながら、自ら成長し続ける力を育んでいくことが必要です。

      現在の大学教育は、専門知識に加え、論理的思考など知識を活かすための教育には力を入れています。さらに、実社会で挑戦し、行動して成果を示すことも重視されています。

      一方で、自分が見ている世界を問い直したり、社会にとって何が大切なのか考えたり、自分自身の判断基準をつくったりする側面は、教育設計が容易ではありません。

      つまり、大学教育では、成長プロセスの「C.知的基盤」、「D.意味形成(D-2.構造的認識)」、「E.実践(E-2.推進力)」は扱われやすく、「A.世界認識」、「B.自己形成」、「E.実践(E-1.公共的意味形成)」は扱われにくい状態です。

      環境から逃れられない要因

      この成長プロセスは、大学生に限ったものではありません。人の生涯にわたる状態変化を捉えるものです。20歳でも、40歳でも60歳でも、人はその時々の環境や経験のなかで変化し続けます。

      前章では、人が自分の育った組織の価値体系から逃れにくい構図を見ました。なぜそのようなことが起こるのか、その人の状態を成長プロセスから見てみます。

      世界認識:その世界の見方が、自分にとっての「普通の世界」になっている
      自己形成:そこで評価されてきた経験が「自分はこういう人間だ」という自己像になっている
      知的基盤:その世界で必要な知識は豊富だが、その前提を揺さぶるような知と接続していない
      意味形成:新しい出来事に出会っても、すでに知っている意味のなかで理解しようとする
      実践:その世界では高い行動力を発揮するが、社会に与える影響を問う視点は弱い

      この人には、知識も行動力もあります。所属する世界で必要とされる知識を持ち、実践を推進する力も非常に強い。しかし、世界の捉え方や自己の判断基準を相対化し、新しい出来事を別の価値体系から捉え直すところでは停滞しているとみなせます。

      「ものすごく主体的で、行動力があって、社会的にも成功している人」であっても、自律しているとは限らないのです。

      教育は何を設計すべきか

      では、このような人の成長を支えるための教育とは、どうあるべきでしょうか。

      現在の大学教育では、育てたい人材像を能力群に置き換え、教育課程を具体化する考え方が主流です。2025年の中央教育審議会答申でも、人材像を「主体性」「リーダーシップ」「創造力」「課題設定・解決能力」「論理的思考力」「表現力」「コミュニケーション能力」などの資質・能力として置き換えられるものと捉えています。

      大学では、このような能力を目標として卒業認定・学位授与の方針であるディプロマ・ポリシーに掲げ、それを実現する教育課程の編成方針をカリキュラム・ポリシーとして示しています。

      この考え方は、大学教育に限りません。企業でも、入社後に業務遂行に必要な能力・スキルを定め、それを研修などによって高めるという育成が一般的です。大学と企業の育成方法は、この点で連続しています。

      しかし、「どのような人を育てたいか」から「どの能力を身につけさせるか」へ移る間に、「人はどのような成長を経て、そのような判断や行動ができるようになるのか」という問いが抜けています。

      これが、第1章で示した「目標適合型」の教育設計です。外から与えられた目標に向かって努力する力は育ちますが、それだけでは、自ら問いや判断基準を形成することにはつながりません。

      「自律して考え、未来を切りひらく」人を育てるのであれば、教育が目指すべきなのは、学生が自ら成長していく過程を支えることです。そのためには、教育設計の起点を変える必要があります。

      まず、学生が今どのような状態にあり、どの側面で停滞しているのかを観察する
      ➡そこから、次にどのような変化が起こりうるかを考える
      ➡そして、その変化を支えるために必要な知識、経験、教育方法を組み合わせていく

      たとえば、「経験や課題が自分と結びつかず他人事のまま」といった状態であれば、「自分との接点や関心を見出せるようになる」という変化を支えることが考えられます。その停滞を乗り越えるために、何を経験し、何を知り、教育者がどのようにかかわるかを考える、という順番です。

      到達すべき能力から教育を組み立てるのではなく、その人がどう変わっていくかから教育を組み立てる。
      この考え方を、本稿では「成長志向型」の教育設計と呼びます。

      【目標適合型と成長志向型の教育設計】
      Japanese alt text: 社会はどんな人間を育てているか―人はどのように成長するか 出所:KPMG作成

      (※本稿で示す成長プロセスおよび成長志向型の教育設計は、大学教育の設計に向けて筆者らが整理している仮説的な枠組みです。)

      評価の役割の転換

      人の成長を中心に据える教育設計は、評価の捉え方も変わります。

      現在の教育評価では、学習成果の可視化が重視され、学生が身につけた能力を測ることが中心になっています。評価の対象は主に学生であり、学生に蓄積された能力が教育の成果として捉えられます。しかし、一時点で測定した「能力」だけを見ても、その学生がどのように変化したのか、何がその変化を促したのかはわかりません。教育方法や教育環境の何が有効だったのかを判断するには、能力の測定だけでは情報が足りません。

      一方、成長志向型の教育設計では、「学生の変化」と「変化の要因」を把握します。
      「学生の変化」――何が、どの状態からどの状態へ変わったか。
      「変化の要因」――どのような経験、知識、問い、対話、関与が変化の契機となったか。

      ここでは、学生の変化に加えて、意図した状態変化を促す教育だったかどうかという教育設計自体も評価の対象になります。

      つまり評価の役割は、「学生を判定すること」から、「学生の変化と、それを支えた教育を捉え、教育設計を見直すこと」へと変わるのです。

      おわりに―現代社会の教育リスクにどう向き合うのか

      本連載では、「自律して考え、未来を切りひらく」人を育てるという命題に対し、現代社会の環境が人の形成にどのような影響を及ぼしているかを見てきました。

      「主体性」を重視しながら、実際には「主体的に適応すること」と混同しています。
      「自分のやりたいことをやれ」と言いながら、環境がその方向性を決めています。
      自分で判断することを良しとしながら、その判断基準は暗黙のうちに固定化されています。

      このような環境が人を育て、そこで育った人が、また同じ環境を再現していきます。

      重要なのは、私たちがこのような社会に対してどう向き合うかです。

      人の能力だけでなく、そこにいる人々が何を世界と見なし、何を価値ある実践と捉えているかを観察することで、組織や環境がどのような状態にあるのかを捉えることができます。個人としても、組織としても、自らがどのような状態にあるのかを見つめ直し、どこに停滞があるのかを認識することが、次世代を育てるためには重要です。第2章で取り上げた学部は、自分たちが学生に対してそのような環境をつくっているのではないかと気づき、現在、学生の成長を支える教育設計とはどうあるべきかを検討しています。

      問われているのは、「どうやって学生の能力を高めるか」ではない。

      その学生を育てる側の前提やそれによって作られる環境を、どう観察し、問い直すかです。そして、現在の教育を考えることは、社会のあり方自体を考えることにもつながります。
      (終わり)

      執筆者

      KPMGコンサルティング
      スペシャリスト(リードスペシャリスト) 田中 智麻


      <本連載に関する講演のご案内>

      連続講演会「グローバルリスクと社会―不確実な世界を生き抜く」後半
      第1回:「現代社会の教育リスク」(外部サイト)
      講師:田中 智麻(KPMGコンサルティング)

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